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分れト出会い

枕元の温度計が19℃を告げてくれる暖かな朝です。
3月の初めに初音を利かせてくれた鶯は今年、若葉の季節になっても盛んに囀っています。
長い間同行介助をしてくれた人、4月で仕事を卒業すると知らせて下さった。
相性の良い人でした。
5月からはどんな人が来宅してくれるのか楽しみです。
# by siho306 | 2019-04-25 05:40 | Comments(1)

発見


迂闊でした!!
シャンプー容器に目印が付くという情報は知っていたのです。
どんな目印が付いたかを知らずに過ごしてました。
昨日の記事にコメントを下さったkさんの言葉が気にかかって、ウオーキング解除に来宅してきた人に尋ねました。
容器の側面に、縦に点字のような突起が並んでつけられているのを教えてもらって目からうろこでした。
これなら私にも確認が出来て位置が変わって困るなんてぼやくことはなかった。
自分の不注意に恥ずかしい思いをしながら、それに気づかせてくださったkさんのコメントには感謝あるのみです。ああ
# by siho306 | 2019-04-24 05:35 | Comments(0)

忍耐


視力を失って一人暮らしを津図ケルトいろんな不都合なことが出てきます。
4週間に1度水回りの掃除を頼んでいるダスキンには浴室内の物の移動はしないようにとずーっと以前から頼んでいます。
今回来宅した人にそれは伝わっていなかったらしくシャンプーとトリートメントが逆に置かれたようで阿波の出ないシャンプーに戸惑ったのでした。
見える人には気にならずに過ごせるのでしょうが記憶で過ごす私は忍耐あるのみなんですよ。
朝からのボヤキでした。「笑い」
# by siho306 | 2019-04-23 05:44 | Comments(3)

睡魔


お気に入りの放送番組、耳で聞く文芸館が今週は有吉佐和子作品と知り、聴きたいと思ったのでした。
早寝の私が一眠りして目覚めたのが放送開始30分前、グッドタイミングと喜びトイレなどの用足しをして待機です。
朗読が始まり、内容は千姫が登場する時代物、ヒロインは女歌舞伎役者ということまでは覚えているけど後は睡魔に襲われて気が付くとロマンチックコンサートのメロディが流れているばかり。
夜も昼も眠いのは困った現象です。
# by siho306 | 2019-04-22 05:29 | Comments(0)

ボヤキ


思案の末、ウオーキングの代わりに、北海道物産展に行くことにしました。
来宅した北海道出身の介助者に、貴女の目で美味しい海産物の載ったお弁当を選んで欲しいと頼みました。
予算は?と聞かれて美味しければいくらでも奮発するわと答えたのでした。
混雑する会場で、彼女が選んだ品物の代金2160円を支払って帰宅です。
お昼になって代金より小さなパックを開けると中には輪切りにしたれんこん2枚の間に得体のしれない物が挟まれている代物が4個入ってる。
何処にもご飯の粒は見つからない。
どうやらお弁当といった私の言葉が通じていなかったようです。
炭水化物の無い食事ならダイエットになるわと言い聞かせての昼食となったのでした。
# by siho306 | 2019-04-21 05:35 | Comments(0)

話題


この一週間に出会った人たちとの間で話題になるのは高岡大和肺店の話題でした。
皆さんの関心が深いのでしょうね。
同店で今開催中の北海道物産展には懐かしくて出かけてきた人が多いとのニュースが流れていました。
私も北海道産物の載ったお弁当が食べたくなっちゃった。
買い物に連れて行ってもらえる時間帯があるだろうかと、目下、思案中です。
# by siho306 | 2019-04-20 05:30 | Comments(0)

本屋の閉店


暖かな日でした!!
室内よりも快適な外気の中を歩きながら、大きな書店が閉店するのを知りました。
高岡大和よりも先に閉店するとローカル新聞の記事になっているそうです。
昨年は美味しいと評判だったタイ焼き屋が閉店し、これは焼く人が高齢になってのことだと聞いていますが、どんどん知っている店が閉店になり郊外の車で出かける大型店が繁盛するのには車利用の出来ない身は寂しいですね。
# by siho306 | 2019-04-19 05:33 | Comments(2)

生い立ち4


昭和20年8月15日戦争は終わりました。
混乱する戦後の中で、戦争未亡人の母はいち早く旧居の場所に家を再建してくれました。
千五変わった6 3 3 4年制のルートに乗って私は進学、卒業を繰り返して結婚し家を離れました。
幾年か経過して高岡大和が改築するにあたって、立ち退きを家付き姉に求めて来たのです。
姉は大和から毎月家賃としていくばくかの金額を受けることで承知して住まいを立ち退いたのでした。
子供に恵まれなかった姉は、その権利を私の息子に譲りたいとの希望で、息子はそれを相続したのでした。
今回の閉店の報をメールで知らせると、彼からは最悪の状態になったねとの返信メールが届きました。
# by siho306 | 2019-04-18 05:37 | Comments(0)

生い立ち3


何時頃「マルコシ」が「ダイワ」と呼ぶようになったのかは全く知りません。
幼いころの私にとって、この建物は遊び場でした。
正面玄関横の大きなショウウインドウ前に太いパイプの手すりがあり、それを鉄棒代わりにぶら下がったり、店内の階段を登って屋上へ行ったりして遊んだのでした。
太平洋戦争が始まったのは、小学校入学前でした。
父は出征し戦死して海の藻屑として消えました。
本土への空襲が激しくなったころ、大きな建物の周囲の木造家屋を強制疎開と称して取り壊される建物疎開が行われ、産まれた家は消えました。
jr城端線の終着駅から歩いていく村に疎開をして、私は村の学校へ転向したのでした。
# by siho306 | 2019-04-17 05:31 | Comments(0)

生い立ち2


母の父、つまり祖父が建築設計技師として東京で働き、母が早稲田小学校に通学していた時に、関東大震災が発生したのでした。
それを機に祖父の故郷である高岡へ帰り、祖父は建築材料を商う商売を始めたのです。
一方、三人姉妹の長女だった母ハ、地元の女学校を卒業して婿養子を迎えて、家業を継ぎ姉と私が産まれたのでした。
# by siho306 | 2019-04-16 05:27 | Comments(0)